大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和51年(ネ)69号 判決

控訴人

川﨑勇

右訴訟代理人

渡辺喜八

外一名

被控訴人

大竹英太郎

右訴訟代理人

綿引光義

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

控訴人及び訴外川﨑一則が本件建物を所有し、その敷地である本件土地を被控訴人から賃借していたこと、右賃貸借に関し昭和四三年一〇月一六日三条簡易裁判所において被控訴人主張のような内容の調停が成立したこと、被控訴人が昭和四六年一二月八日控訴人及び川崎一則に対し、同人らが昭和四四年一月から昭和四五年一二月までの二年分の賃料の支払いを怠つたとして右賃貸借契約(以下「本件賃貸借」という。)を解除する旨の意思表示をし、右意思表示は同月一〇日に控訴人らに到達したことは当事者間に争いがない。

控訴人は、三条簡易裁判所において成立した調停条項に従い、昭和四四年一月分以降の地代をその年の盆、暮の二回にわたり、地代家賃統制による統制額を自ら算定して、それを上廻る金額を被控訴人方に持参して現実の提供をしたから履行遅滞による責を負わないとの趣旨の主張をするので、この点について判断する。

〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができる。すなわち、本件土地はもと訴外高橋儀七郎の所有であつたが、控訴人の母訴外亡川崎ハイ(昭和三〇年死亡)は昭和二四年頃本件土地上に建つていた本件建物を買い受け、高橋儀七郎から本件土地を賃借し、年に一回その賃料を払つていた。昭和三二年五月頃訴外大竹博子が高橋儀七郎から本件土地を買い受け、翌昭和三二年一〇月頃被控訴人が更に右大竹博子から本件土地を取得してその所有権者となつたところ、ハイの死亡により川崎一則(控訴人の兄川崎保則―昭和一七年五月死亡―の子)と共に相続によつて本件土地の賃借権者となつた控訴人は、一則の母である訴外川崎イツと毎回一緒に被控訴人方を訪れ、地主も代つたことであるから、新しく地代を決めて受取つてくれるよう言つたが、被控訴人の方では一向地代額も言わず、またこれを受領しようともしなかつた。このような状態は昭和三一年から、被控訴人が三条簡易所に本件調停の申立てをした昭和四三年まで続き、その間控訴人と川崎イツとは毎年盆、暮の二回被控訴人方を訪れて前記のような懇願を繰り返していたが、被控訴人は時には控訴人らが持参した手土産を受け取るようなことはあつても、地代を受け取るようなことはなかつた。このように被控訴人が地代を受領してくれないので、控訴人も不安を懐き昭和三五、六年頃、それまで滞納していた地代を前地主高橋儀七郎時代に支払つていた一年一、三六六円の割によつて計算してこれを供託し、その後は同額で計算した三年分の地代をまとめて供託した。被控訴人は、昭和四三年一〇月一日三条簡易裁判所に控訴人及び川崎一則を相手方として、本件土地の賃料を昭和三二年一〇月五日から年額二万円の割で支払うよう調停の申立てをし、昭和四三年一二月三日には右申立ての趣旨を月額二万円の割合で支払うよう調停を求めると変更した。ところが昭和四四年四月四日成立した右調停の内容は、被控訴人が主張するとおりのものであり、被控訴人は前記のように、調停の趣旨を昭和三二年一〇月五日から月額二万円の割合で支払うよう調停を求めると変更したにも拘らず、実際に成立した調停は、昭和四四年一月分以降の本件土地の地代家賃統制令によつて算出した額とするということであり、このことは調停委員の発案にかかるものであつて、これに対しては被控訴人、控訴人らにおいても別段異議はなかつた。

右のように本件調停においては、控訴人らは昭和四四年一月分以降の本件土地の地代として地代家賃統制令により算出したその年度分の統制額を毎年六月末日、一二月末日の二回に分割して被控訴人方に持参支払うよう定められたが、川崎イツは当時三条市役所に勤めていた関係で、同市役所の当該係の人に昭和四四年度の本件土地の地代家賃統制令による額を計算して貰つたうえ、同年八月頃、右金額を封筒の表に書き入れ、封筒の中には、四、五千円(一年分の賃料に相当する額以上の額)の現金を封入して、控訴人と共に被控訴人宅を訪ね、被控訴人に右封筒を差し出し、地代を持つてきたから受け取つて貰いたいが、先ず被控訴人の方で地代がいくらになるか言つて貰いたいと言つたところ、被控訴人らが持参した現金を受領するようなこともせず、また地代がいくらになるというようなことも言わず、そのうちにとか、後で知らせるというのみであつた。昭和四四年の暮及び同四五年の盆も右と同様、控訴人は川崎イツと共に、地代家賃統制令で計算した額を上廻る額の現金を持参して前同様の懇願を繰り返したが、被控訴人も前同様、地代を受領もせず、また自分で計算した地代額がいくらになるというようなことも言わなかつた。控訴人は、その後昭和四五年一〇月三〇日に至つて、昭和四四年度一年分の賃料として金一、三六六円を供託した。前記調停では、昭和四四年一月分以降の本件土地の地代は地代家賃統制令により算出した額であり、同年度の右統制令で算出した額が金三、〇四三円である(右事実は当事者間に争いがない。)にも拘らず、控訴人が右金額に満たない金一、三六六円を供託したのは、川崎イツが川崎司法書士に供託のことについて依頼したところ、同司法書士から供託は支払の意思があることを明確にすればいいのだから、前賃料額を供託すれば足りると指導されたためである。昭和四五年暮にも控訴人は川崎イツと共に現金を持参して被控訴人方に赴いたが、前同様被控訴人はこれを受領せず、且つ控訴人らが一〇月三〇日にした供託のことについて尋ねるようなこともしなかつた。

前記調停では、地代は毎年六月末日及び一二月末日の二回に分割して支払うよう決められていたにも拘らず、控訴人らが右のように昭和四四、四五の各年の暮は別として、各年の六月末日の弁済期を過ぎた盆(八月)に地代を被控訴人方に持参したのは、調停成立前にも盆、暮の二回に被控訴人方に地代の支払いのため行つていた惰性であるが、この点は控訴人の不注意であると認められる。

右のとおり認めることができ、〈る。〉なお被控訴人代理人は当審において甲第一〇号証の一ないし三を提出し、被控訴人本人は右甲号証はいずれも昭和四四、四五、四六の各年の五月頃三条市役所で本件土地の地代の各年の地代家賃統制令の計算方法を尋ねたうえ、司法書士でも調べて貰つて、地代の額を妻に書かせてその写しを隣家に住む川崎イツに郵送したものであると供述し、あたかも被控訴人が地代家賃統制令による本件土地の地代を計算してその支払を催告したかの如くいうが、その原本であると被控訴人が供述し、当裁判所これを領置した三通の書面を仔細に検討すると、右書面はいずれも新しさ、形状、体裁等が全く同じ便箋様の紙の上にボールペンをもつて記載されており、しかも甲第一〇号証の二の原本には同号証の一の原本の、同号証の三の原本には同号証の二の原本に記載されたボールペンの字の筆圧がやや明瞭に看取されるところから、右書類は被控訴人が供述するように前記各年の五月頃に作成されたものではなく、三通同時に同一日時頃作成されたものであることが認められ、且つ〈証拠〉によれば、川崎イツは昭和四〇年頃他に家を建築して被控訴人が供述する頃には既に本件建物には居住していなかつたことが明らかであること及び被控訴人自身原審において、控訴人らが調停で定められた二年分の地代を滞納した結果被控訴人は昭和四七年三月に控訴人らに対し本件建物を収去して本件土地を明け明すべき旨の調停を申し立て、その際被控訴人が経営する会社の従業員に本件土地の昭和四四年から同四六年に至るまでの地代家賃統制令による地代額を算出させたとして甲第二号証を提出するが、右甲号証と甲第一〇号証の一ないし三に記載された昭和四四ないし四六年度の地代家賃統制令で計算したと称する額には著しい違があことを考えると、被控訴人本人の右の供述は全く信用することができず、むしろ右甲第一〇号証の一ないし三は、本件訴訟を何らかの意味で自己に有利にするために故意に作出したものであると認められる。

右認定の事実に従えば、控訴人が昭和四四年及び同四五年の各六月末日に支払うべき本件土地の地代を、その履行期が経過した各年の八月に被控訴人方に持参したことは、必らずしも控訴人らが債務の本旨に従つた弁済の提供をしたものとはいい難く、また控訴人らはいずれも被控訴人方に賃料相当額以上の金員を持参し賃料額の確定を促しただけで被控訴人の面前に持参した地代である現金を並べた上で明確に受領の催告の意思表明をしたものであるということはできないが、右二回の履行を遅滞した点は本件賃貸借解除の要件が二年分の賃料の支払の遅滞となつている以上合計して二年分の賃料未払の状況が発生していない限りその中間の履行期における履行遅滞は本件解除について格別の考慮を払うべき要を見ないところであり、且つまた被控訴人の面前で地代を並べ明確に受領の催告をしなくとも前段認定のように賃料額が確定額をもつて定められておらず一定の基準に照らして始めて確定額が定まるような本件賃貸借契約関係の下では控訴人らが被控訴人方に赴いた折に毎回賃料相当額以上の金員を持参し被控訴人に賃料の確定額の決定を促している以上――たとえ法律上はその決定は控訴人ら側においてすべきものであるとしても――これをもつて債務不履行によつて生ずべき責任を免れしめる提供があつたものと解すべきである。そうすると控訴人には債務不履行の責任がないことになるから、これがあることを前提としてした被控訴人の本件賃貸借解除の意思表示はその効力がない。

なお、昭和四六年一二月八日被控訴人が控訴人及び川崎一則に対し、本件賃貸借を解除する旨の意思表示をするに際し、控訴人らに対し相当の期間を定めて賃料支払の催告をしたことは被控訴人の主張しないところであるが、同時に前掲被控訴人主張の理由によつて本件調停条項第三項は本件賃貸借については無催告解除の特約を規定しているものと解されるところ、仮に前認定の事実によつては控訴人らが被控訴人に対して本件地代を現実に提供したものといい難いとしても、前認定の事実関係においては、被控訴人が控訴人らに対して相当の期間を定めて賃料支払の催告をせず、いきなり解除の意思表示をすることは、被控訴人における解除権の濫用というべきであつて、解除の効果は生じないものといわなければならない。すなわち〈証拠〉によれば、被控訴人が本件土地の所有権を取得して後、本件調停成立前において控訴人らが盆、暮に被控訴人方に賃料を持参しても被控訴人らはこれを受領せず、その間控訴人らに対し、「本件建物から出る気はないか。」「本件建物を譲らないか。」など言つていたことが認められ、右事実に前認定のように本件調停成立後も控訴人らは盆、暮には賃料を持参して支払の意思を示しているのに、被控訴人の方ではこれを受領せず、且つその間控訴人らに対して賃料支払いの催告もしない(催告をしたとの措信すべき証拠がないところから、催告しなかつたものと推認することができる。)ことを考え併せると、被控訴人は控訴人がその無知、不注意により調停条項で定められた賃料を四回分(二年分)支払わないことをむしろ期待し、二年分の賃料の支払がなされないとみるや突如として控訴人に対し無催告の解除通知を発したものであると認められ、被控訴人の右の態度と、控訴人らには無知、不注意の点があるとはいえ、なお賃料支払の意思は充分有しており、またそれを現実に被控訴人方に持参したことを対比してみると、被控訴人の本件無催告の解除は権利の濫用であつてその効を生じないものといわなければならない。

以上のとおりであり、控訴人に債務不履行の事実があり、被控訴人のした本件賃貸借解除の意思表示は有効であるとして控訴人に対し本件建物を収去して本件土地を明け渡すべきことを命じた原判決は不当であるから、控訴人敗訴部分を取り消して、この部分の被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用について民事訴訟法第八九条、第九六条を適用して主文のとおり判決する。

(菅野啓蔵 舘忠彦 高林克巳)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例